昔、沖縄の地は「三山鼎立時代」と呼ばれる時代で、北山・中山・南山の三つの勢力が互いに争っていた。
14世紀に中山によって琉球王国が統一されたが、北山王の居城である「今帰仁城」は滅ぼされた後も残っている。
伝説的なカリスマ・北山王の城は、「武芸絶倫、淫虐無道」と言われ、最古の工法である「野面積み」による石垣を持ち、周囲の地形を利用した巧妙な城壁で難攻不落の要塞だった。
賄賂による裏切りで攻略されたが、門を突破した武将は北山王に打たれた按司(豪族)の子孫だった。
「日本100名城」に選ばれ、海と城壁の眺めは絶景で、ヒカンザクラの並木も美しい桜の名所として知られている。
2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。
### 歴史と絶景の世界遺産
沖縄の地には「三山鼎立時代」と呼ばれる時代があり、北山・中山・南山の三つの勢力が争っていました。14世紀に中山によって琉球王国が統一されましたが、北山王の居城である「今帰仁城」は滅びた後も残されています。
北山王の城は、「武芸絶倫、淫虐無道」と評され、最古の工法である「野面積み」による石垣を持ち、周囲の地形を利用した巧妙な城壁で難攻不落の要塞でした。しかし、賄賂による裏切りで攻略され、門を突破した武将は北山王に打たれた按司(豪族)の子孫でした。
「日本100名城」に選ばれた今帰仁城は、海と城壁の眺めが絶景で、ヒカンザクラの並木が美しい桜の名所としても知られています。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
### 今帰仁城の歴史
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡です。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城でした。国の史跡であり、世界文化遺産の一部にも指定されています。
### 伝説と略歴
現地の伝説によれば、今帰仁世の主が築いたと伝えられていますが、これは伝説上の話です。城郭跡は12世紀から13世紀頃に築城されたものです。
『中山世鑑』や『中山世譜』によれば、伝説王・舜天の兄(異母弟とも)、大舜とその子が城主となり、その後、舜天二世・舜馬順煕の子が城主となります。その後の城主の一人、湧川王子は英祖王の次男であり、北山王国の始まりとなる怕尼芝に討たれるまで城主を継ぎました。
1416年、北山王国は中山王尚巴志に滅ぼされましたが、その後も北山監守が置かれました。1609年の琉球侵攻後、1665年に廃止されるまで監守が存在しました。
### 概要
『おもろさうし』に見える今帰仁の古名は「みやきせん」です。
今帰仁城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせます。1416年に北山が滅ぼされた後も、旧北山統治の要所として使用され続けました。現在も石垣などの遺構の整備が進み、1972年に国の史跡に指定されました。
### 現地情報
今帰仁城跡は、現在も整備および修復作業が行われています。
通常期間(1~4、9~12月)
午前8時~午後6時(最終入場午後5時30分)
夏期延長期間(5~8月)
午前8時~午後7時(最終入場午後6時30分)
年中無休
大人 600円
中高生 450円
小学生以下 無料
無料(約320台収容)
バスご利用の場合:本部循環線今帰仁村字今泊今帰仁城趾入口バス停下車徒歩15分