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沖縄平和祈念公園

(おきなわ へいわ きねん こうえん)

戦跡と慰霊、そして平和を願う場所

沖縄平和祈念公園は、沖縄戦跡国定公園にある海を見下ろす高台に位置する公園であり、恒久の平和を願った「平和の塔」がシンボルとして立っています。

園内には、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎、黎明之塔、日本各県出身地別の慰霊・平和祈念施設、式典会場や駐車場などの付属施設も備わっています。

公園に隣接して沖縄平和祈念資料館・沖縄平和祈念堂があります。

平和祈念公園は、本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地に位置しています。

琉球政府時代に整備が始まり、復帰後の昭和47年から都市公園として本格的な整備が進められました。

公園内には、沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。

公園は、国内外の観光客、慰霊団、修学旅行生など多くの人々が訪れる聖地であり、観光の要所となっています。

また、休日には多くの家族連れが訪れ、広い芝生で球技を楽しんだり、ピクニックやレクリェーションの場としても利用されています。

## 沖縄平和祈念公園

沖縄平和祈念公園は、沖縄戦跡国定公園に位置する高台にあり、海を見下ろす場所にあります。恒久の平和を願って建てられた「平和の塔」がシンボルです。

### 施設概要

公園内には、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎、黎明之塔、日本各県出身地別の慰霊・平和祈念施設、式典会場、駐車場などの付属施設が整っています。また、隣接する沖縄平和祈念資料館と沖縄平和祈念堂も訪れることができます。

### 公園の歴史と役割

この公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵に位置し、南東側に美しい海岸線を眺めることができます。琉球政府時代に整備が始まり、昭和47年から都市公園として本格的に整備が進められました。

### 展示と慰霊

公園内には、沖縄戦の写真や遺品を展示する平和祈念資料館や、戦没者の氏名を刻んだ「平和の礎」があります。また、「平和祈念像」や50基の慰霊塔が建てられており、これらは戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る場所です。

### 訪問者と利用

沖縄平和祈念公園は、国内外の観光客、慰霊団、修学旅行生など多くの人々が訪れる場所です。また、休日には多くの家族連れが訪れ、広い芝生で球技を楽しんだり、ピクニックやレクリエーションの場としても利用されています。

### 特別なイベント

毎年5月の子供の日には「平和祈念こいのぼりまつり」が開催されます。また、2021年4月16日には、2020年東京オリンピックの沖縄県内の聖火リレールートとしても使用されました。

## 沖縄戦跡国定公園

沖縄戦跡国定公園は、沖縄県の沖縄本島南端部、糸満市と島尻郡八重瀬町にまたがる、第二次世界大戦(沖縄戦)の戦跡と自然景観を有する国定公園です。指定区域の面積は5,059ha(陸域3,127ha、海域1,932ha)で、戦跡としては唯一の国定公園です。

### 公園の成り立ち

1960年代にアメリカ統治下の沖縄への渡航が容易となり、多くの慰霊団が訪れるようになりました。1961年11月には和歌山県が「紀乃國之塔」を建設し、その後日本本土の府県が競い合うように慰霊塔を建てました。1965年に琉球政府立公園に指定され、1972年の沖縄返還に伴い国定公園に指定されました。

### 戦跡の歴史

公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地でもあります。1945年5月、アメリカ軍の攻撃により、日本軍司令部は沖縄本島南端部に撤退しました。ここでは一般住民と日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥りました。結果、狭い地形での大混戦となり、6月18日にはアメリカ軍沖縄方面最高司令官サイモン・B・バックナー中将が戦死しました。日本軍による組織的抵抗は、6月23日に司令官・牛島満中将が自決したことで終了しましたが、アメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けました。

### 慰霊の日

沖縄県は日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」としており、毎年この日には摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。

### 慰霊施設

公園内には、多くの慰霊施設、慰霊碑、慰霊塔があり、その数は主要なものだけでも100余りにのぼります。

## 沖縄県平和祈念資料館

沖縄県平和祈念資料館は、「第二次世界大戦で貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表すとともに、悲惨な戦争の教訓を後世に伝え、世界の恒久平和の実現に寄与するため」に設置された資料館です。1975年(昭和50年)に開館し、沖縄戦に関連する軍関係文書や個人所蔵の文書、ひめゆり学徒の手記などが収蔵・展示されています。展示は「沖縄戦への道」、「戦場の住民」、「証言の部屋」、「収容所から」の4部で構成され、証言も聞くことができます。

## 沖縄平和祈念堂

沖縄平和祈念堂は、恒久平和を祈念して平和祈念公園内に建造された高さ45mの七角形の堂塔です。内部には沖縄平和祈念像が置かれ、周囲には平和の鐘や美術館などがあります。

## 国立沖縄戦没者墓苑

国立沖縄戦没者墓苑は、18万余柱の遺骨が安置されている納骨・慰霊施設です。1979年(昭和54年)2月に建立され、赤瓦が葺かれた参拝所と石を積み上げた琉球墳墓風の納骨堂、それを囲む広場から構成されています。近くには各府県や各種団体の慰霊碑・慰霊塔が多数建立されています。

## 平和の礎

平和の礎は、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑です。1995年(平成7年)6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建立されました。海岸線を見渡す平和の広場に建てられ、屏風型の花崗岩に銘が刻まれています。現在も追加刻銘を受け付けており、2014年(平成26年)6月23日時点で刻銘者数は24万1336人に達しています。

## 黎明之塔

黎明之塔は、司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将を祀る慰霊塔です。戦跡と太平洋を見渡す丘の上にあり、司令官が自決した司令部壕跡の上に建てられています。

## 島守之塔

島守之塔は、沖縄戦で殉職した島田叡知事(兵庫県出身)と県職員453名を祀る慰霊塔です。1951年(昭和26年)に旧県庁の生存者三百数十人や県民を中心とした寄付により建立されました。

Information

名称
沖縄平和祈念公園
(おきなわ へいわ きねん こうえん)
リンク
公式サイト
住所
沖縄県糸満市字摩文仁444番地
電話番号
098-997-2765
アクセス

バス 那覇(バスターミナル) 89番 → 糸満(バスターミナル)線 82番 → 玉泉洞線(平和祈念堂入口下車)

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