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伊計島

(いけいじま)

きれいなビーチでの海水浴やマリンスポーツが楽しいのどかな島

沖縄本島中部にある、うるま市の「伊計島」は、勝連半島から海中道路を抜けて平安座島と宮城島を通って車で25分ほどで行ける離島です。

4つの島からなる金城湾を囲む4つの島の中で、最も先端に位置しています。

伊計大橋からは、周辺の美しい海を見渡せ、宮城島側の橋のふもとには、シーサーがいるので、海をバックにシーサーとの写真撮影もおすすめです。

島内にはサトウキビ畑が広がり、のどかな離島の情緒が漂います。

透明度の高い海に囲まれ、伊計ビーチや大泊ビーチなどが人気で、潮の満ち引きに関係なく泳げ、マリンスポーツも楽しめます。

海岸沿いは奇岩絶壁が多く、釣り場としても有名です。

西向きの海岸からは夕陽も美しいです。観光地化されていない離島の風景を、島内を散策しながら味わってみてはいかがでしょうか。

伊計島は、沖縄本島中部にあるうるま市の離島で、きれいなビーチでの海水浴やマリンスポーツが楽しめるのどかな島です。 #### アクセス この島へは、勝連半島から海中道路を抜け、平安座島と宮城島を通って車で約25分で行けます。伊計大橋からは周辺の美しい海を見渡せ、宮城島側の橋のふもとにはシーサーがあり、海をバックにシーサーとの写真撮影もおすすめです。 #### 島の風景 島内にはサトウキビ畑が広がり、のどかな離島の情緒が漂います。透明度の高い海に囲まれ、伊計ビーチや大泊ビーチなどが人気で、潮の満ち引きに関係なく泳げ、マリンスポーツも楽しめます。 #### 見どころ 海岸沿いには奇岩絶壁が多く、釣り場としても有名です。西向きの海岸からは美しい夕陽を眺めることができます。観光地化されていない離島の風景を、島内を散策しながら味わってみてはいかがでしょうか。 伊計島は、沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約10キロメートルに位置しています。

#### 地理 伊計島は面積1.72平方キロメートル、周囲7.49キロメートルの島で、琉球石灰岩に覆われています。沖縄諸島の中で、与勝諸島を構成する有人島であり、太平洋の金武湾の東側に位置しています。伊計島と宮城島との間の海峡は「フーキジル水道」と呼ばれ、潮の流れが速いです。 島は北東から南西へ約2キロメートルの長方形をなし、最高標高は49メートルです。南西端の独立した丘陵には伊計グスクがあり、かつては離れ小島だったと考えられますが、後に砂州が形成されて現在の陸繋島となりました。この丘陵を除く大部分は標高約25メートルの平坦な地形で、北西から南東に向かって緩やかな勾配があります。東海岸を除く島の海岸は、標高約20メートルの海食崖に囲まれています。 #### 自然 海岸沿いはアダンの木々に囲まれています。伊計グスクの石灰岩丘陵にはオオハマボウやクロツグ、リュウキュウツチトリモチが自生しています。 #### 人口 2017年5月現在、島内人口は230人、世帯数は109世帯です。 #### 小島・岩礁 亀岩は龍宮神として祀られています。 #### 歴史 伊計島は「伊計」のみの大字で構成され、島の南側に集落があります。琉球王国時代の伊計村は当初、勝連間切に属していましたが、1676年に西原間切、同年に平田間切、1687年からは与那城間切に移管されました。1896年(明治29年)に中頭郡、1908年(明治41年)に与那城村の大字「伊計」となり、1994年(平成6年)に町制施行して与那城町、2005年(平成17年)にうるま市となりました。 方言で「伊計」は「イチ」といい、「イチジマ」や「イチハナリ」とも呼ばれます。『南島風土記』では「遥かに遠い場所」との意味とされていますが、「生々しい」からの由来ともいわれます。『正保国絵図』には「いけ嶋」、『ペリー提督沖縄訪問記』には「イチェイ島 (Ichey Island)」とあります。 #### 先史時代からグスク時代 伊計島には貝塚時代からグスク時代の遺跡が多数あります。1986年(昭和61年)に国の史跡に指定された「仲原遺跡」は、島の中央部からやや西寄りに位置し、南北約50メートル、東西約100メートルの範囲に及びます。約2,500年前の貝塚時代中期の集落跡で、石垣で組まれた竪穴建物跡や土器、石斧、サメの歯から作られた装飾品が出土しています。伊計グスクは琉球石灰岩の塔上部に位置し、『おもろさうし』や『海東諸国紀』にも記載があります。 #### 琉球王国・明治以降 島を襲った干ばつから農民を救った「犬名河(インナガー)」は、長く島の唯一の水源でした。伊計島は長期にわたり水不足に悩まされ、1825年には隣の宮城島から水を調達することもありました。1967年にはアメリカのガルフ社が石油基地建設を検討しましたが、計画は中止され、平安座島での石油基地建設が進められました。 #### 教育 1902年に宮城尋常小学校から独立して伊計尋常小学校が設立され、後に伊計小中学校となりましたが、2012年に閉校し、平安座島に「うるま市立彩橋小中学校」が開校しました。2016年には旧伊計小中学校の校舎を利用して、カドカワグループのN高等学校沖縄伊計本校が開校しました。

#### 産業 伊計島は半農半漁の島で、主にサトウキビを生産しています。その他、メロンやスイカ、ピーマン、トマト、葉タバコも栽培されています。1979年からは土地改良整備が行われ、整然と区分けされた農地が広がっています。1981年の伊計漁港における漁獲高は約15トンで、アジ、タイ、イカなどが水揚げされ、モズクやマダイの養殖も行われています。また、島北西沖には沖縄県唯一の定置網の漁場があり、カツオ漁が盛んです。昭和初期にはカツオを鰹節に加工する工場も存在していました。 島西海岸の伊計ビーチと大泊ビーチは海水浴場として利用されています。島北部にはかつてアメリカ軍の保養施設を修築したリゾートホテルがありましたが、2012年に閉鎖されました。2013年に施設は別の会社に引き渡され、隣接するサーキット場も同社に移譲されました。 #### 文化 かつての伊計島では、死者の命日やお盆に祭祀を行う習慣がなかったため、1769年に役人が祭事を始めるよう指導しました。その際、位牌を神主と見立てて祀ったとされます。『琉球国由来記』には、伊計島には3つの御嶽が存在し、これら御嶽で執り行われる祭事は島内のノロにより管理されていました。 伊計グスク北側の海岸は「イビヌクシ」と呼ばれ、かつて祭祀が催されましたが、現在は伊計ビーチとして利用されています。当地ではハーリーや豊作豊漁を祈願するウスデークなどの行事が開催されています。伊計グスクへの参拝は、付近の伊計港から遥拝します。また、「カミアシャギ」は海から訪れた神をもてなす場所とされ、他にも「掟殿内」や「地頭火ヌ神」と呼ばれる祭殿があります。 伊計島とその周辺離島で構成される与勝諸島の方言は、沖縄中南部方言の一つに含まれ、発音や文法、語彙にさほど差異はありません。伊計島では使用されなくなった言葉もあり、例えば「おじいさん」は「ンプー」または「ンブスー」と言われます。琉球古典音楽の楽曲の一つである「伊計離節」は、もともとは勝連半島で歌われた民謡で、伊計島やその周辺離島の情景を歌詞にしています。 #### 交通 伊計大橋が完成するまでは、沖縄本島の屋慶名港から船で片道約2時間かかり、宮城島北東部の池味港から渡し船が出入りしていました。1977年に架橋準備に関わる調査が行われ、1979年に着工、1982年に伊計大橋が完成・開通しました。橋の長さは約198メートルで、総工費は約10億円でした。橋の完成により、沖縄本島から平安座・宮城島を経由して、自動車での往来が可能になりました。1997年には浜比嘉島と平安座島を結ぶ浜比嘉大橋も完成し、浜比嘉島との間も自動車での往来が可能になりました。 うるま市では本島の屋慶名地区とこれらの各島を結ぶ路線バスを運行しています。

Information

名称
伊計島
(いけいじま)
住所
沖縄県うるま市与那城伊計
アクセス

那覇空港から車で
1.高速利用時:那覇IC→沖縄北IC経由で約1時間10分
2.一般道のみ:国道330号線→国道329号線を利用して約1時間20分
3.最寄の沖縄北ICから約40分

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