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ちんすこう

色々な味が揃う沖縄みやげの定番といえばコレ

琉球王朝時代から沖縄県で作られている、上質なラードと黒糖を使って焼き上げたシンプルな伝統菓子。当時ちんすこうは、琉球王朝の王侯貴族のみが食する事ができた宮廷菓子であったため、「ちん」は珍しい、「すこう」はお菓子というのが名前の由来となっている。ビスケットのような食感と、控えめな甘さが特徴で、黒糖風味のプレーンのほかに、チョコや紅芋、マンゴーなど、味のバリエーションも豊富。日本茶やコーヒーのお茶請けに限らず、アイスクリームの口休めやトッピングにも用いられている。箱詰めにされた同商品が県内の土産品店で販売されており、代表的な沖縄みやげとして観光客にも人気だ。

ちんすこう(金楚糕)は、琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統的な琉球菓子です。主な原材料は小麦粉、砂糖、ラードで、焼き菓子として作られます。沖縄県の土産品として有名で、個包装された商品が土産品店で販売されています。

ちんすこうの由来にはいくつかの説があります。中国には桃酥という似た焼菓子があり、昔、中国南部で作られていた小麦粉に砂糖とラードを加えて蒸した菓子が沖縄の気候や材料に合わせて変化したという説があります。また、ポルトガルの焼き菓子であるボーロがシルクロードや海路を通じて伝わったという説もあります。

琉球王朝時代の「菓子例帳」によれば、当時のちんすこうは赤、黄、緑の着色がされていました。また、以前は米粉を使用していたのが、小麦粉に変わり、最近では片栗粉も使われるようになりました。

漢字表記の金楚糕は、「黄金色に輝き、ほどけるような口当たりの焼菓子」という意味があります。

歴史

琉球王朝の後期、料理座の包丁人たちが中国の福州で習得した中国菓子や、日本の薩摩藩の菓子を基にして、琉球独自の菓子としてちんすこうが作られました。元来、ちんすこうは王族や貴族のみが祝い事の際に食べることができる貴重な菓子でした。

尚灝王、尚育王、尚泰王の3代に仕えた新垣淑規と新垣淑総から、廃藩置県後に琉球菓子の作り方を伝授された新垣淑康は、1908年に沖縄初の菓子店を開き、レンガ釜で焼いたちんすこうを販売しました。この焼き菓子は、船で琉球と日本本土を行き来する人々の土産品として重宝されましたが、大きくて食べると崩れやすいという欠点がありました。

新垣菓子店から独立した新垣淑扶は、米軍基地で使用されていたクッキーの型を再利用し、一口サイズの細長い形に改良しました。また、ちんすこうの大量生産と衛生面を考慮した小分け包装のスタイルも確立しました。これにより、ちんすこうは沖縄県を代表する土産菓子として広く認知されるようになりました。

バリエーション

黒糖味、チーズ味、紅芋味、パイナップル味など、さまざまな味のちんすこうが発売されています。また、球形や花、シーサーをかたどったものなど、形も多様です。

2005年に南風堂から発売された「雪塩ちんすこう」は、ちんすこうの脂っこさや甘さを軽い塩味で和らげることでヒット商品となりました。素材や琉球王朝時代の製法にこだわった手作りの高級ちんすこうも発売されています。

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